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【山の本棚8】三浦綾子『泥流地帯』から、『石狩川』『静かな大地』ー北海道開拓群像と山々ー
十勝岳の白い絶景 北海道札幌市で仕事をしていたとき(1970年代後半)、帯広市に帰省する友人に同伴し、初冬の十勝平野を訪ねました。 国鉄広尾線(当時)の愛国駅 ...
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2020年の夏山は新型コロナウィルス蔓延にやきもきする世情ですが、1世紀前の日本アルプスを歩いた古典を手にすると、探検・冒険の気風をかき立てられます。
ウエストンの健脚、あふれる好奇心
3,000m峰が連続する北アルプスは夏山最高の密集地帯。
最盛期の山小屋はぎゅうぎゅう詰めが常識。
上高地に近いある小屋では廊下にはみ出して寝ているのを目撃しています。
無意識に新型ウイルスを感染させる可能性があり得ます。
今から130年前の日本アルプスに山小屋も感染リスクになる「密」もなく、あるイギリス人宣教師が精力的に「楽しむための山歩き」をしていました。
ウォルター・ウェストン(1861-1940)。
その紀行文集が『日本アルプスの登山と探検』(岩波文庫)。
富士山を含め3,000m峰や周辺の山々を歩き尽くします。
驚くばかりの好奇心と行動力です。
日本の風俗の観察も読みどころ。
体験は130年前のことですから、現代のように登山道が刻まれ、山小屋を頼れるのとは真反対、まさに探検です。
山に分け入り峰を越える生業の地元猟師らを案内にたてて入山しています。
ウェストンの見聞を読むと、往古の山岳へとタイムスリップする妙味があります。
例えば、わたしが関心を寄せるザラ峠。
今はバス便で立山室堂から入山し、五色ヶ原へ縦走するとき通過する峠です。
かつてこの峠は越える場所でした。
峠越えのルートは廃道。
富山側の登山拠点だった立山温泉も廃湯。
30年ほど前の初夏、わたしは残雪の沢を詰めて峠まで単独で歩いたのですが、ウェストンは長野側(大町)から黒部川を渡って峠を越えて立山温泉に宿泊します。
峠のウェストンは、今から下っていく富山側の谷を見やります。
「どこを見ても雪崩や地滑りのあとの岩屑が散乱している。絶壁から崩れ落ちた大岩が乱雑に積み重なり、何とも言いようのないもの凄さだった。」
わたしはウエストンとは逆の道のり。
狭く急な最後の残雪地帯で足下から転がりだした手のひら大の石が、ものすごいスピードを増して滑落し、岩壁に激突して破片をとばしたときはゾッとしました。
その背中合わせに、高山植物の広大な高原五色ヶ原が広がる。
ウェストンに続く小島烏水
ウェストンは、日本人が楽しみを求めて山を歩く気風を刺激しました。西欧文明を積極的に(時に妄信的に)取り入れた明治時代の一断面です。
小島烏水(1873―1948)は『日本アルプス』(岩波文庫)を残します。
題名が単刀直入に内容を表わします。
「鑓ヶ嶽探検記」に始まり、本書の大半は北アルプスの各地を探訪したものです。
ウェストンと時代が重なる明治中後半の日本アルプスや富士山などを描いて、読者にまだ見ぬ高山への旅愁をかき立てます。
わたしの場合は、全編を読み通すというより、自然、民俗の記録として現代との違いを知ることに関心はあります。
例えば、わたしのブログでしばしば登場するライチョウ。
氷河時代の生き残りにして特別天然記念物のこの野鳥と烏水ら登山者の出会い。
「槍ヶ岳への岐れ路まで戻ってくると、人夫は親子連れの雷鳥を、石で撲ち殺して、足を縛っているところであった、(中略)かわいそうだと言った口で、今夜私も一緒になって、この肉を喰うのかなあと思う」
ライチョウの受難は、ここに限りません。
当時のライチョウへの価値観がうかがえます。
その一方で烏水は、「上高地風景保護論」を記します。
「同地(注・上高地)にある美しい森林の濫伐に関して、公開状を提出する」と、上高地で行われている国有林の伐採が、上高地の自然を蹂躙するものだという趣旨を展開します。
現代の上高地を訪れる多数の人たちは、疾走する梓川の透明感ある流れに目を見張り、河童橋の上から穂高連峰の胸壁を仰いで大地のダイナミズムに感嘆します。
高級ホテルや宿泊施設、飲食店を普通に感じます。
烏水の一文は、自然破壊と環境保護、そして持続可能な自然の活用という古くて新しい課題を思わせます。
弾丸ツアーとは無縁なもの
バスの深夜便などを利用し、睡眠不足も山歩き初体験も問わない弾丸ツアーは、何も富士山に限ったことではない。
とにかく気ぜわしく、時間・費用の節約を優先し、名のある山岳に突進する傾向はおさまらないと思います。(第5章「鑓・穂高から上高地へ~雨の訪問者」参照)。
弾丸ツアーなど無縁の1世紀前、英文学者田部重治(1884―1972)は日本アルプスなどを訪ね、エッセイ・紀行文『新編 山と渓谷』(岩波文庫)を記します。
同書の冒頭は「山に入る心」。
山歩きをする自分の心のありようを省察するもの。
徳本峠から見やる穂高の岩塊から受けた卑小な思いなどを述べ、自然と親しむことについて、「私は、自分を最も力強くよみがえらせ、私に新しい力を与えるのは毎も自然であることを感じている」とまとめています。
同書もわたしの関心から読むと、例えば「槍ヶ岳より日本海まで」の章。
わたしのブログのルートとも部分的に重なりますし、前編がわたしの足跡と重なります。
徳本峠を越えて上高地に入り、最終的には剣岳から早月川に下り、滑川へ終着します。
剣岳の麓の集落で、今では離村した伊折にも興味があるので、田部がそこで滞在し住民から荒れた登山道や熊の出没などを聞かされたところなど、1世紀前の山間の生活を想像しながら読みます。