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山の本棚

【山の本棚5】北杜夫と槍・穂高、そして安曇野①

 

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戦争をはさみ、珍妙・内省の青春

上高地は岳人を集め、旅人には避暑の憩いをもたらす高地です。

 

上高地を足早に駆け下る梓川の冷涼な流れの奥には岩の穂高連山の大屏風を仰ぎ、梓川を上流にたどればやがて槍沢と名を変え鋭利な岩塔・槍ヶ岳へと導かれます。

 

首都圏、名古屋・大阪の大都市からの交通の便がよく、東西の鉄道が合わさる松本が上高地への玄関口です。

 

超近代的な現代の松本駅の改札口を出てコンコースを西口に歩くと、遠くの空に槍ヶ岳山頂のとんがり帽子がちらりと見えます。

登山者でなくとも、山旅をそそられる時です。

槍ヶ岳 (1)
(西鎌尾根をつめ槍ヶ岳の尖塔が近い)

その槍ヶ岳や北アルプスに強い愛着を寄せた作家が北杜夫(1927-2011)です。

 

「春、西方のアルプスはまだ白い部分が多かった。三角形の常念ヶ岳がどっしりとそびえ、その肩の辺りに槍ヶ岳の穂先がわずかに黒く覗いていた」

 

『どくとるマンボウ青春記』(1968・中央公論社)に記します。

 

歌人の斎藤茂吉の次男として東京に生まれた北(本名・宗吉)は、戦争末期、進学先に信州松本の旧制松本高校(現在の信州大学)を選びます。

 

ここから西へ向かえば上高地・乗鞍、さらに大糸線で北上すれば、大町、白馬と北アルプスの著名な山岳地帯が待ち受けています。

 

敗戦を挟んで十代の青春の多感期を松本に暮らし、西に槍穂高連峰、東に美ヶ原を仰いだ北に、信州の山岳自然は多くの文学的種子と刺激を植え付けています。

 

手元の随筆「どくとるマンボウ」シリーズ、小説の数々をひもときます。

 

『どくとるマンボウ追想記』(1976・中央公論社)によって、東京人の北の信州の自然への憧れがわかる。

 

昆虫採取に夢中だったこともあるが、

「それよりもかつてのよき時代の松校生であった叔父のアルバムに魅せられたのである」

 

『どくとるマンボウ青春記』が彩る作品群

北が自ら代表作と自負する『楡家の人々』(1964・新潮社)に登場する人物の心情を反映する松本や北アルプスの情景描写などは、身辺の人々、松本での実体験から創造していると、北は追想記で述べている。

 

『楡家の人々』については、改めて行を割きます。

 

追想記は、シリーズの白眉ともいうべき『どくとるマンボウ青春記』(1968・中央公論社)につながります。

 

誇張かなとも思いたくなる逸話の数々のどれもが、若さの放埒、方向の定まらないエネルギーに満ち、上質な笑いとペーソスの色気を持って語られます。

 

 

バンカラな寮(思誠寮)での日常、みすぼらしいいでたちの先生、学生の誘導にのりついつい試験範囲を示唆してしまう先生、空腹にかられ一切れのたくあんの争奪に思い惑う様子など、敗戦を挟んだ時代の雰囲気と、混沌混乱の青春群像が面白くもしっとりとしています。

 

 

青春記には、北アルプスや美ヶ原の色香が描かれます。

美ヶ原は松本駅東口を出ると真正面に延びる道路の先に尖って立ちはだかっています。

 

北が学んだ松高はその道路を突き当たったところにありました。

 

松高は穂高岳への冬季登山など、地の利を生かした山岳活動が盛んでしたが、北は卓球部に所属し山通いをします。

近代交通のない時代の上高地へのルートである徳本峠なども訪ねています。

 

そうした経験が随所に読み取れるのが、『少年』(1975・中公文庫)。

 

松高の思誠寮に入ったときから書き出す自伝的な作品。

 

現在の表銀座を燕岳から槍ヶ岳に登り、美ヶ原を歩く。大きな自然の中で性に戸惑う自分を省察します。

 

槍ヶ岳、美ヶ原逍遙などの投影

山岳そのものに食い込んだ小説ではありませんが北文学の出発点と読めます。

『幽霊』(1975・新潮社)も『少年』を水源とする作品。

 

敗戦後の槍ヶ岳への一人登山はだれとも出会わない孤独、炊事用の残雪を求める行動などから内面の揺れが描かれます。

松本時代の北アルプスでの自然体験があるからこそ描かれます。

 

作品「岩尾根にて」は北の芥川受賞作品「夜と霧の隅で」など全5作をおさめた『夜と霧の隅で』(1960・新潮社)。

 

 

「岩尾根にて」には山名がないが、3,000m級の岩だらけの山岳で、かつて岩登りで仲間を失った「私」と岩登り登山者との出会い、二人の会話とで岩登りが醸す魔性と死の匂いが漂う。

 

 

総じて北文学にとって、特定の山岳とそこに接する人間は主題になっていません。

 

大自然と向かい合う人間の物語を描いた新田次郎の『孤高の人』などの作品とは方向がまるで違います。

 

繰り返しますが、しかし、松本での青春時代が北文学を揺籃したことは、『どくとるマンボウ青春記』一冊をひもとけば随所に読み取れることでしょう。

 

転勤の多いわたしでしたが、青春記はいつも持ち歩き、今でも折に触れ拾い読みしています。

 

政治家への一言など幅広くしなやかな見解などもあり、青春の書として長く読まれていい一冊だと思います。

 

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本文に出てきた北杜夫作品まとめ

この記事の中に出てきた本を一覧にしました。

もし興味があれば、手にとってみてはいかがでしょうか。

本記事に出てきた作品

  • 『どくとるマンボウ青春記』
  • 『楡家の人々』
  • 『幽霊』
  • 『夜と霧の隅で』
  • 『少年』

 

 

 

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは8年目(2023年4月現在)

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