北アルプス 登山記録 第4章[初の北アル縦走]

【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ③~五色ヶ原の落雷~

 

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黒部水平道
【第4章】初の北アルプス縦走・唐松岳から上高地へ②~黒部のう★こ~

    山行データ19歳。大学2年。 1972年7月28日ー8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山 ...

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山行データ

19歳。大学2年。
1972年7月28日―8月7日:八方尾根・唐松岳から黒部川へ下り、阿曽原、剣沢、立山、薬師岳、黒部源流、西鎌尾根・槍ヶ岳、槍沢から上高地へ下山。4人パーティ。
★3,000m峰は立山(3,014m)と槍ヶ岳(3,180m)

 

炎天の尾根で鼻血など

阿曽原を出て、真砂沢(テント泊)、剣沢(テント泊)を経て、五色ヶ原に至ります。

 

19歳の縦走から約45年という時間がたっています。

 

記憶はおぼろなところがありますので、当時と今とを一部縦走路を比較しながらこのルートをたどってみます。

 

比較する山旅は、退職後の数年前の9月、テントを担いだ北ア・烏帽子岳~唐松岳の一人旅です。

 

ちなみに19歳のわたしは、真砂沢尾根道で真上から炎天に直撃され鼻血を出してみたり、あまりに暑くて黒部川にアタマを突っ込んでみたりと、さんざんでした。

 

剣沢

テン場はテントの花盛り。私たちのような若い世代がほとんどでした。

 

消灯して間もなく近くのテントから大声で、「◆●大学山岳部★回生!ナンのダレべえ!」と元気がいい。

 

私たちのリーダーのNが「それがどうした。もっとやれ。やかましい!」というふうに、周囲からはやし立てて賑やかでした。

立山から剣岳
(立山の大汝山付近から夕暮れの剣岳を遠望する)

 

このころ中高年登山という言葉はまだ聞きません。

 

烏帽子岳~唐松岳のテン場では中高年がやけに目立ちます。

私より年配と見受ける方も多い。

若者は少数です。

 

剱沢のテント場からは剱岳の岩峰がひび割れて三角に見上げられます。

真砂沢からは雪渓を踏んで上ってきました。

 

真夏だというのに雪があるのはさすがに3,000m地帯です。

炊事に使う水がとびきり冷たいのです。

 

残雪と冷水の一方で、午後の日が高い時間に、わたしは上半身裸でくつろぎます。

 

高山の自然の不思議な落差を感じます。

 

アリの行列のような立山登山者

立山:この縦走で最初の3,000m峰です。

剱沢の翌日です。

 

大汝山を過ぎて頂に神社のある雄山を過ぎて下りにかかると、急にものすごい数の人の縦列が巨岩ひしめく急斜面をかき分けて上がってくるのです。

あっけにとられました。

雄山へ登登山者
(立山の雄山へ登る人の列は途切れない)

 

信仰の立山が先年開通した立山黒部アルペンルート(富山県富山市~長野県大町市)によって、簡単に登れるようになったのです。

 

室堂(2,450m)までバスで入って、2時間もあれば雄山山頂に立ててしまいます。

軽装でも大丈夫。

 

どでかい蟹の甲羅のようなリュックとむさくるしいわたしたちが場違いなくらいです。

 

最近では北陸新幹線が富山にも停車し、首都圏との時間がいっそう短縮されています。

 

立山登山はさらにハードルが低くなりました。

 

立山登拝に来世の浄土をすがる心の持ちようは、経済効果という俗界と結託する宿命から逃れられません。

 

怒り、猛る神々のいかづち

五色が原と立山(後方)
(南への縦走路から、振り返れば五色ヶ原と立山連峰の全景が広く高い)

 

五色ヶ原立山でめまいした混雑は、浄土山から南下するとあぶくのように消えます。

 

起伏のある鬼岳獅子岳からザラ峠にどっと下って登り返すと、五色ヶ原につきました。

 

途中で雷鳥の母子6羽と出会ったのは幸運でした。

 

母鳥が登山度の真ん中にうずくまり、周囲を中心にヒナがぐるぐるとまわって砂浴びでもしているようでした。

 

ホッと心が和むひと時です。

わたしたちはその輪舞の邪魔をしないことにして、ぐるりを回って先に進むのでした。

五色が原
(雪解け水でぬかるむ五色ヶ原)

 

ザラ峠、不思議な命名です。

 

19歳の夏には不思議な語感を感じて通過しただけですが、その後、富山に住む機会があった30歳代に廃道となった峠越えの谷を富山側から登ったり、明治期に塩の道を建設した歴史をひもといたりして、山歩きの別の楽しさを知ることになります。

 

雷鳥が呼び寄せたのではありますまいが、五色ヶ原の夜は落雷に次ぐ落雷です。

 

天は立山のあまりな俗化に警告を発しているのでしょうか。

青白い閃光と地響きを立てて、大地と大気を丸ごと引き裂くかのような大騒乱です。

 

テントの外にある4本のピッケルが、ブウンブウンとうなり続けます。

雷の電気を帯びた不気味ないななきです。

ザラ峠で憩う登山者
(ガスが舞うザラ峠で登山者が憩う。右手が富山側、左手が黒部渓谷。正面を登ると五色ヶ原)

 

山の落雷というと、この縦走の5年前(1967)の8月1日の真昼時、西穂高岳で松本深志高校の学校登山の生徒らが犠牲になっています。

 

命を奪われたのは私と同世代の高校生でした。

死者11人、重軽傷者13人、大きな衝撃でした。

それも心によぎります。

 

<今の落雷はすごく近い。次はオレたちのテントに?・・・>

 

死へ導く災厄がわたしたちのすぐそばに迫っているのです。

 

山は温厚でもあり猛々しくもある。

親しくもあり、油断ならない自然の掌に私たちはあるのです。

 

寝袋にじっと丸まって、心臓をドキドキさせながら荒ぶる天が過ぎ去るのを待つしかありません。

 

稲光が薄い青色にテント内を瞬間に何度となく照らし、シュラフにくるまる仲間の体の線がしわだらけに起伏しています。

わたしたちは、ただひれ伏し縮まるだけのものなのでした。

 

写真はすべて2012年7月撮影

 

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ゴン

1952年生まれの69歳。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは7年目(2022年4月現在)

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