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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤2~二軒小屋~
山行データ2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え、太平洋の潮に至る。 夜半にクルマ ...
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山行データ
世界文化遺産10周年
富士山は今年(2023)、ユネスコ世界文化遺産の登録10周年。
コロナの感染病の位置づけが一般のインフルエンザと同じになって、マスク着用の日常から解放されたこともあり、いっそう富士登山者が増えそうです。
(転付峠からの下りで見る富士山)
7月1日は山梨県側の山開き(5合目)。
五合目まで交通機関で行けるお手軽感は相変わらずですが、ろくに睡眠や休憩も取らない強行日程や、ゴミ捨て横行などの課題も直前の報道は指摘していました。
古くて新しい問題です。
「日本一」の富士山は外国観光客にも人気です。
テレビニュースは近くの公園に散歩にでも出かけるような軽装でOK、と笑う外国人も取り上げていました。
それもこれも、文化遺産の現実です。
余談ですが、御嶽山(3067m)も1日から夏山シーズン。
長野県王滝村側から山頂までの入域禁止部分が、月末に解禁になるといいます。
63人の登山者が死亡・不明になった御嶽噴火は、2014年9月から10年近い。
歩くか、弾丸になるか?
富士山はしばらくおとなしくしていますが、(噴火したら火山灰被害は?)などと、折に触れて注意喚起の報道があります。
2023年に20年前の山旅を書いているので、文化遺産登録はちょうどその中間の年(2013年)のことです。
噴火すれば天地をひっくり返す畏怖する山体でしたが、江戸時代は団体組織「冨士講」によって人々がしきりとこの山へ出かけました。
お伊勢参りみたいなものでしょうか。
遊山、気晴らしを兼ねた。
左右対称に均整のとれた美形の富士山は関東の各地から眺望できます。
東京都心に近い千葉県の海の町に住んでいた頃、冬の夕暮れに富士山を遠望する機会がありましたが、暗いオレンジの西の空に刻まれた姿が大きく鮮明で、(こんなに近くに聳えているのか)と感心したものです。
古くから日常に溶け込んだ風景として、富士山は人々の意識の中に根付く筈です。
文化遺産というのは、そういう精神風土に培養された評価なのでしょう。
鉄道もクルマもない時代の人々は歩くのが当然でしたが、現代人が手にしたのは「弾丸登山」という時間効率の商品。
「日本百名山」巡礼も、その一座である富士山に人が密集する一因なのでよう。
目にもとまらない弾丸に山歩きを例えられるというのは、文化遺産に似合うかどうか。
古道を訪ねる人
さて、転付峠から狭い森の中の古道をくねくねと下っています。
(峠近くの水場。豊かに、清冽に)
二軒小屋は古くから林業の拠点でした。
例の大倉喜八郎が森林開発に乗り出したわけですが、大井川は伐採した木材の輸送に利用されました。
二軒小屋に入るのに作業員たちが往来した古道をわたし一人ばかりが下っている。
銃を背にクマやシカなどを追い求める里人の息づかいやまなざしも、この森林は受け入れてきたはずです。
植林の実績を記す現代の看板もあります。
転付峠を越えて南アルプス登山をというのは、よほどの信念や心構えを強います。
この古道を歩かなくても、二軒小屋へは畑薙第一ダムからバス便(市中の路線バスではない)があるのですから。
予算を切り詰め、体力作りを兼ねた学生合宿あたりも、その範疇に入りそうです。
徳本峠を島々から越えて上高地・穂高へと入山した信州大学山岳部の学生など好例です。
ただ、転付峠は越えても上高地一帯のような手厚く開発された施設群がもてなしてくれるわけでもありません。
単独行者を見返る
荒れた小さな沢に渡された金属板は橋の代わりなのでしょうが、上流から落ちてきた大木の根元が掛かっています。
釣り人や、発電関連と見える施設、あるいは作業員らしき人たちも目に入るようになります。
ごく短い区間ですが、両岸を切り立った岩に囲まれたあたりは、水深も浅く、時間があれば釣り糸でも垂れたり、水浴びでもしたりしたい心地よいところです。
森林に囲まれたV字に凹んだ川筋を下るのは、徳本峠からのそれを思い出させます。
(小さいが二段に流れる小滝)
(木が金属製の渡し板を直撃)
峠を越える古道というのは、多かれ少なかれ、こういう雰囲気を持っているようです。
登ってくる人はいないな、とほぼ見切っていたところ、前に人影が一つ。
互いに接近するにつれて、頭の上にリュックの上部がはみ出していて、いかにも重装備。
足取りはしっかりと板張りの道を踏みしめています。
若い女性、おそらく白人系の外国人。
すれ違いに目であいさつしたばかりで、峠方面の情報を求めるふうでもありません。
女性は滑るようにして、峠へと木道を遠のいていきます。
(外国人の単独女性が黙々と峠を目指す)
単独行というところに、おおいに興味をそそられます。
一声をかければよかったかな、と思ううちにも彼女はどんどん山中に吸い込まれて小さくなっていきます。
まだ入山者はいるだろうか。
期待を胸に、慌てず、先へと下って行きます。