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南アルプス 登山記録 第11章[南アル-富士山、田子の浦]

【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-1~上九一色村~

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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊤6~本栖湖に恐怖~

山行データ2003年9月5日-8日、50歳。単独。静岡駅からバス便。椹島から歩く。転付峠を越えて南アルプスの3000メートル峰と別れを告げ、一路、日本一の富士山を越え太平洋の潮に裸足を洗う。 &nbs ...

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山行データ

2006年7月22日―23日、53歳。単独。本栖湖までバス便。冨士浅間神社から廃れた旧道を経て山頂を踏み、太平洋の田子ノ浦の潮まで踏破する計画だが、今回はかつての登山口である冨士浅間神社まで。

 

3年後の富士山越え

本栖湖までで中断した富士山越え。

3年後の7月に再開。

 

梅雨明けは少し先だが、仕事の関係もあり、海の日のあるこの季節を選ぶ。

新宿発7時40分の遠距離バスでと思ったが、予約で満席。

 

夏の観光シーズンなのだ。

ファストフード店で、ハンバーグを喰い、コーヒーを飲みつつキャンセル待ち。

だめなら出直すか、とハラをくくる。


(道のりには観光客めあての果物の売店が多い)

 

よほどのことがないと、乗り物の予約はしないので。

新幹線なら、指定席をとることはない。

東京駅なら、本数が多いので、席がいっぱいなら反対ホームの次の便にすればいい。

 

梅雨の大雨によって、長野県では土砂崩れの被害が出ているようだ。

九州から近畿にかけて、今日は大雨の予想。

 

自民党の福田氏が、総裁選に出馬しないと朝刊が一面トップで報じる日である。

小泉政権の後継を決する総裁選は、がぜん安倍氏が突出する。

 

さまざまな権力闘争が、新宿からさほど遠くない国家議事堂界隈をいることだろう。

 

満席の果てに1人下車

キャンセルが出て、バス便に乗る。

満席。

 

雨粒が今にも落ちそうな空を見上げて、西へ向かう。

 

行楽客は巨大遊園地であらかたが下車し、河口湖で残りが降りきり、終着の本栖湖まで熱気の失せた車内には、わたしきり。

 

河口湖辺りから青空ものぞくようになっていて、富士山の巨体があけすけに突っ立っている。


(富士山がシルエットに浮かぶ)

 

遠くからだとほんわりとした山ひだに見えるが、裾から仰ぐと、傾斜が存外きついのに驚く。

 

葛飾北斎の版画「富岳百景」に、大きな富士山をとらえた作品があり常々疑問があった。

 

日本アルプスなどから遠望してきた富士山は、なだらかな裾を垂らしており、北斎の描くように険しくないと見ていたのだが、まぢかだと写実を感じる。

 

そして緊張感に引き締まった山体。

11時10分に本栖湖

 

バス停近くの土産物店は装いが新しくなっている。

3年の時間を見る。

 

富士山は再び視界にない。

駐車場のある湖畔に観光客は多くはない。

湖岸に並んだ遊覧ボートも手持ち無沙汰のふうだ。

 

「ここはキャンプで人がくることなので、真夏にならないと賑わわない」

 

バスの運転手はそう言っていた。

 

3年前の初見では、潜在する破壊エネルギーに身震いした本栖湖だが、今日は、チャプチャプと無数の小波を刻む高原の水辺空間。

 

上九一色村、あるいは・・・移住地

本栖湖の東岸が今回の歩き出し。

 

世に言う「富士五湖」は本栖湖を最西に置き、東(富士山の北裾)を、精進湖、西湖、河口湖、そして山中湖で締めくくる。

 

いつも富士山を右手にする観光道路が貫いていて、ひっきりなしに乗用車が行き交う道路の端ッこを、ノコノコと歩きます。


(観光施設が開発されている精進湖への入り口)

 

五万分の一の地図は、富士山から山中湖へ移る。

本栖湖あたりを見ると、「上九一色村」とある。

 

その地名は、すぐにある光景に結びつく。

 

オウム真理教の四角い生活施設(サティアンと言われた)が幾棟か並ぶ。

 

広々と、茫々とした台地に、冬枯れのままに草丈が茂る中を黒くめくれた土肌が細長く、施設につながる道路になっている。

 

1995年3月に起きた東京の地下鉄サリン事件で、警察の車両と警察官が密集し強制捜査に着手した現場(※参照)。

 

観光道路からその現場はまったく見えないが、大事件の近くにいるという意識に胸が不穏にざわつく。

 

ニュースに見た荒野が、事件の行為者たちの心証風景を見たような気がする。

 

なぜ富士山麓にあるのかしら。

富士山は、ここでも何かの象徴?・・・偶然?

 

移住地と青木ヶ原樹海

樹林を貫く観光道路を乗用車やバイクの一群が、スケートでもするように滑走している。

 

精進移住地」が右手にある。

戦後の大陸からの帰国者たちの開拓地?とも想像したが、違った。

 

精進湖の北にあった集落が、湖水の増水による被害を避けるため南岸に移住し(1972年)、文字通り移住地なのだ。

 

移住を促したのは、東隣の西湖での増水による北岸の被害。

似た住環境にある精進湖の北岸の住民が対策の手を打ったということらしい。

 

サティアンとは異質の大地に営む生活臭がある。

 

このあたりは、青木ヶ原樹海に入るようだ。

 

(迷い込んだら生き帰ることはできない)

 

樹海に関する言説がわたしの知識にある。

 

そう言わせる深部が大森林のどこかにあるのだろうが、観光開発の俗臭いっぱいというのも現実で。


(青木ヶ原をかけるバイクの一群)

 

ドライブインに車と人が集い、「富岳風穴」という見所へ人が吸い込まれていく。

 

風穴というのは、地図を見るとあたりにけっこうある。

 

富士山が吐き出した溶岩石の隙間から、地下のひんやりした空気が流れ出てくるというのであろう。

 

立ち寄ることはせず、太古からの火山創造の一切れを想像しながら、リュックを揺すり上げる。

今日は軽めである。

 

※参照

3月20日午前8時ごろ、東京の地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の5本の地下鉄車内で、神経ガス・サリンがほぼ同時に散布され、乗客・乗員ら13人が死亡し、多数が病院に運ばれた。

化学兵器が一般市民に使われた初のテロ事件として世界に衝撃を与えた。警視庁は、オウム真理教の犯行とみて22日、強制捜査に入った。

5月16日、首謀者の教祖の麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚を始め約40人が逮捕され、麻原死刑囚ら13人の死刑が確定した。(NHK放送史から原文のまま)

 

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【第11章】南アルプスから富士山、田子の浦へ㊥-2~信長の富士山~

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ゴン

1952年生まれ。 18歳で高校を卒業後、他県生活を30年余。 北海道、北陸、東京など、転勤に伴い転々とする。 退職後は2013年から自宅で小さな英語塾を開設。夫婦で小中高生や社会人と接する一方、夏秋になると北アルプス、南アルプスの山歩きをしている。 中学、大学でプレーした卓球を退職数年前に約35年ぶりに再開。地元高校のコーチは9年目(2024年4月現在)

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